背筋がゾクゾクした。
『中盤、自身の象徴でもあるイナバウアーを決めると、
会場から感嘆のため息が』漏れた直後。
枕元に4つ置いてある腕時計の1つのアラームが鳴る。
2月24日、6時21分に目が覚めた。
宵っ張りの朝寝坊、との烙印を親から頂戴してる通り、
朝に弱いので普通はこんな早く起きられない。
ただ昨夜、いつも瞼が重くなるまで聴いている公共放送が
流すラジヲが伝えるトリノ五輪の競技日程を伝えていた。
フィギュアスケート女子で3位につけている、日本人選手の
演技は24日午前6時20分あたり、というアナウンス。
それがアタマの片隅に残っていたのだろう。
目覚まし時計の補助を借りながらも、常より早く目が覚めた。
350ミリ缶ビールしか寝酒として呑んでないにも関わらず、
晩酌による二日酔いの気だるさで体を思うように動かせない己を
忌々しく思いながら薄目を開け半身を大きくベッドから乗り出して、
床上のリモコンに手を伸ばす。
テレビを付ける。
トリノ五輪フィギュアスケート女子の決勝は既に始まってる。
テレビ画面が鮮明になると同時に目に飛び込んでくる、清々しく
鮮やかな濃淡の青の衣装に身を包む一人の日本人選手。
縦横無尽に氷の競技場を駆け巡る彼女が『中盤、自身の
象徴でもあるイナバウアーを決める』。
刹那、背筋がゾクゾクした。
氷上に向かって大きく反り返る、世界で唯一人と言われてるらしい、
その技を展開してる時にウチは気が付いた。
彼女、ずっと笑顔だな、と。
と、同時に会場から感嘆のため息にも似た歓声が挙がった。
なおも続く、コンビネーションジャンプ、回転、演技。
その間、ずっと笑顔。
作り笑いとは思えないような、本当に良い表情をしてる。
嗚呼この人は本当に今の瞬間を楽しんでるんだな、と思った。
この五輪の開会式でも世界3大テノールの1人、パバロッティが
熱唱した「Vincero!(私は勝つ)」で終わるプッチーニ作曲の
イタリア・オペラ「トゥーランドット」のアリアで、『荒川がラストの
ポーズを決めた瞬間、会場全体を轟かすようなスタンディング
オベーションが、パラベラ競技場を包み込んだ。』
結果は周知の通り。
荒川「金」、日本救った!!氷の美笑、完璧な演技!
[ 02月24日 17時05分 ] 夕刊フジ
表彰式に移るまでの時間。
自身もかつての五輪で三回転半ジャンプを以って銀メダルを
手中に収めた某女性解説者が言った。
「オリンピックを楽しみたい。そう口にする選手がいるけれど、
己のベストを尽くして初めて、本当に楽しめる余裕が生まれる。
あの笑顔は、その表れ」なのであろうと。
ナルホド。
あの作り笑いだけとは思えない笑顔は、そゆことか。
カイシャに出勤する準備のため、上半身ぱりっとワイシャツ下、
短パン姿でハミガキしてたウチは恥ずかしかった。
見っとも無いカッコをしてたから、ではない。
努力もロクしないでウチは現状に不満を抱いてたなあ、と。
それでは、余裕も笑みも浮かばないのも道理。
人事を尽くして天命を待つ。
使い古された言葉だけど、それが真理である事を示してくれた
笑顔だった。
メダルの色ではなく、あの笑顔が見れた事に感謝したい。
さて、ウチもガッツリめっこり今日もキバるぞな。
そう思いながら企業戦死の戦闘服たる背広に身をくるんで
玄関のドアを開けた、金曜日の朝。
オマケとして、この日の朝刊に記載されたコラムを転記。
開催式や、この演技で流された楽曲「トゥーランドット」の
謂れが載ってる記事です。
【天声人語】
2006年02月25日(土曜日)付
『プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の舞台は、昔々の
中国の北京だ。
そこの美しい姫の名前がトゥーランドットで、婿選びを巡って
筋が展開する。
姫が出す三つの謎を解かなければ、求婚者は殺される。
ある国の王子がそれに挑む。
「夜ごと生まれ朝には死んでしまうものは?」。
王子は「希望です」と答える。
次は「偉大な行為を思うとき燃え上がり、死を思えば
冷めるものは?」。「血です」。
「あなたを燃やす氷は?」
という最後の問いにも「トゥーランドット!」と正答する。
今度は、王子が「私の名は?」と謎を出した。
「答えられたら姫をあきらめるし、自分の命も捨てよう。
期限は明朝……」(M・ルイス『三大テノール』)。
王子が自分の勝ちを確信して歌う曲が、トリノでフィギュア
スケートの荒川静香選手が演技に使った「誰も寝てはならぬ」だ。
「立ち去れ、おお、夜よ/急ぎ沈め、星々よ!/星よ沈め!
夜明けに私は勝つ! 私は勝つ!」
荒川選手は、このメロディーに導かれるようにのびやかに滑り、
跳び、そして勝った。
しなやかに反り、あでやかに舞う。
ひたむきで、しかも余裕すら感じさせた見事な金メダルの演技は、
多くの人々の心に長く残るだろう。
しばし余韻にひたりつつ、こんな一節を思い浮かべた。
「トリノは、愛の神が望み得るいっさいの魅力を女たちが持っている
イタリアの町である」(『カザノヴァ回想録』窪田般彌訳)。
世界からトリノに集った女性たちが、力を尽くして銀盤に描いた
軌跡もまた、それぞれに美しかった。